01SEP17
Facebookで過去の今日みたいなのが出てくる。
今日それがあった。下の写真。4年前だ。
その頃はまだ成田に住んでいて、クリスチャンの小さな集会をもっていた。
成田から我孫子までの成田線沿線の教会の青年が月一で集まって賛美やバイブルスタディやお祈りをしていた。
最近変化が多いせいか、忙しいせいか、はたまた忘れやすいのか、この頃のことが遠い過去に思える。
先日、仕事で成田空港に行ってきたが、古巣に戻ってきた感じがしたが、もう殆ど誰もいない。
3-4年前までは成田にいたけど、自分はだいぶ変わってしまったなーと思う。良くも悪くも悪くも。
(なんか未練がましい文章だな、と思うと本当にそんな気持ちになるからやめよう。)
さて、その中でも、たまに連絡をとる人がいて、りっちーばという帰国者をサポートする集会のスタッフで、ぼくも最近誘われた。
別れは必ずあるものの、ひょんなことでまた繋がって一緒に活動できることは嬉しいことだ。
いつもながら行き当たりバッタリな、ただの記録のような日記だ。
Cat and Dog Theology という本をもらって読んだ。
どちらも共に神様を礼拝する者ではあるが、一行で要約すると、
ぬこは自分への祝福を求め、犬は神様の栄光を求める。
猫と犬はもちろん例えの話。
ぼくはどれほど神様へ従わず祝福だけを求めてきただろうか。どれほど神様の栄光ではなく自分の栄光を求め、欲を満たしてきただろうか。という感想。
ああ、本を読むのは好きだが、芋ずるで読む本が増えていくので困る。キリがない。
あらかじめ生涯に読む冊数が決まっていればいいのになと思ったり、思わなかったり。
おしまい