18AUG17

エスさまが私たちの罪を負われた瞬間の苦しみについて考えてみた。自分の言葉で。


ぼくは罪人として生まれた。

(罪人=神さまとの関係が断たれた状態)


が、神さまの恵みによって、悔い改めの心と信仰が与えられ、神さまに結ばれた者とされた。

(救われてはいるものの、罪の性質は残っているため、なおも罪を犯してしまう状態。理解しにくいところ・・。ここでの罪とは、法律を犯すことではなく、神さまから目を背けること。詳しくは聖書を・・)


なので、神さまに立ち返り、また罪を犯し続ける。


神さまから目を背けている状態が続くと段々苦しくなってくる。よく飢え渇きという。心がカラカラの状態。


ぼくはこの繰り返しだ。目を背けている時間の方が圧倒的に多い。


さて、ぼくが神さまに結ばれていながらも行ったり来たりの状態で、一方イエスさまのこの地上での歩みはどうだったろうか。


エスさまは一切罪を犯さず、いつも神さまと結ばれていて、神さまが思うことをされていた。いろいろな攻撃を受けても決してやり返さなかった。

神さまから離れることは一度もなかった。


そして、十字架ですべての人の罪を負い、神さまから見放された。


地上での一切罪を犯さなかった方が、この瞬間、私たちの罪ゆえに罪あるものとされた。

いつも神さまを想い離れなかった方がこの瞬間神さまから離された。


エスさまのこの瞬間の苦しみはどんなだったろうか。

行ったり来たりするぼくたちの苦しみと違い、

ずっと神さまとともにいて離れなかった方が

突然離されたときの苦しみとは。