24AUG17
Facebook見てたら、ある人が文語訳新約聖書の写真をアップして、「生きている間に読みたい本」と書いてあった。
つい、なんて純粋なんだ!!と、いろんな誘惑や知識に固められてしまっているぼくは思ってしまった。
(本人さん、もし見てましたら、取り上げてゴメンなさいm(__)m)
人にどれだけ信仰があるかとかどれだけ神さまに信頼してついていってるかはぼくたちが測るところではないが、とりあえず、ぼくは初めに教えられた愛(キリストの)から遠く離れてしまったなと最近よく感じる。
(感情が良い悪いの問題はさておき、実際によくそう感じてしまう。)
そして、悔い改めがいる。
自分がジャッジしてしまった人たちと和解したい。ととりあえず言ってみた。
20AUG17
独り言。記録。
昔ネットで見たことだが、人に嫌なことをされて怒りが収まらない人にかける言葉みたいなのがあった。
「やった側は今頃そんなこと忘れて、家でパフェ食べてるかもよ。」
中学生みたいな発想だけど、想像したらどこか笑えるし、和む。
もし実際にパフェ食べてる時に、怒りをブチまけられたら相手びっくりするよなと思った。
しかも、自分からわざわざまたリングに引き戻すようなことをしなくていいよなとも。
おれも勇者ヨシヒコでも観て寝るか。
(勝手に文字が大きくなるけど直し方がわからん
18AUG17
イエスさまが私たちの罪を負われた瞬間の苦しみについて考えてみた。自分の言葉で。
ぼくは罪人として生まれた。
(罪人=神さまとの関係が断たれた状態)
が、神さまの恵みによって、悔い改めの心と信仰が与えられ、神さまに結ばれた者とされた。
(救われてはいるものの、罪の性質は残っているため、なおも罪を犯してしまう状態。理解しにくいところ・・。ここでの罪とは、法律を犯すことではなく、神さまから目を背けること。詳しくは聖書を・・)
なので、神さまに立ち返り、また罪を犯し続ける。
神さまから目を背けている状態が続くと段々苦しくなってくる。よく飢え渇きという。心がカラカラの状態。
ぼくはこの繰り返しだ。目を背けている時間の方が圧倒的に多い。
さて、ぼくが神さまに結ばれていながらも行ったり来たりの状態で、一方イエスさまのこの地上での歩みはどうだったろうか。
イエスさまは一切罪を犯さず、いつも神さまと結ばれていて、神さまが思うことをされていた。いろいろな攻撃を受けても決してやり返さなかった。
神さまから離れることは一度もなかった。
そして、十字架ですべての人の罪を負い、神さまから見放された。
地上での一切罪を犯さなかった方が、この瞬間、私たちの罪ゆえに罪あるものとされた。
いつも神さまを想い離れなかった方がこの瞬間神さまから離された。
イエスさまのこの瞬間の苦しみはどんなだったろうか。
行ったり来たりするぼくたちの苦しみと違い、
ずっと神さまとともにいて離れなかった方が
突然離されたときの苦しみとは。
13AUG17
地元の教会へ。
お盆中の礼拝ということで、司会者の方も「今日は普段見える方が出かけられ、普段見ない方がが帰省してここに見られています。」と言っていた。
ぼくは、普段見ないレアキャラとしてそこにいた。帰省したら33%の確率で現れる。
正月と盆の年2回帰省するとして、2/52週のうち、さらに1/3の確率。わからん。夜遅いし計算できない。
と、ぼくと同じ境遇の方がいた。その方も東京から帰省とのことだった。
礼拝後挨拶すると、なんと津山でノンクリスチャン家庭で育って信仰を持ったという。
まず、この津山という超閉鎖的な町でクリスチャンが起こされたということにお互い驚いた。都内で共通の友人もいて、お決まりだが、「クリスチャンの世界は狭いですねー」と交わした。
早くこの人の証しを聞きたい。おれも話したい。
神さま、今日も感謝です。
家の犬とカフェのぬこ殿
両者、「遊ぼー」と近づくも「暑いから今は無理」の図
8/11(Fri)-12(Sat)の修養会で学んだことも早々に書いておきたい。
証し 序
証し = 神様が自分に示してくださった恵みや働きを伝えること。
ちなみにぼくの神様はイエス・キリストの神様で、またぼくはイエス・キリストを主であり救い主だと信じてます。
さて、、、
遡れるとこまで遡りたいが、そうするとキリがないので、きっかけみたいなものからスタートする。
細かいことも書くが、それは1mmでも違う道を辿っていたら今この神様との出会いはなかったと思うからであり、その細かい一つひとつのできごとが結び合っていなければイエス様とも出会ってないと思うから。(厳密にいうと、神様の導きに1mmの狂いもないし、辿ってきた道は必然だったと思う。)
また、書き終わったときには、凝縮して作り直したい。ということは、これは下書きみたいなものか。
さて、前置きの方が長くなりそうなのでそろそろ・・・。
序。
中学生のとき、英語の話。
地元でまあまあ良い塾に母が通わせてくれた。受講したのは英数国。
当時、英語が全くわからず、アルファベットを小学4年生のときに習ったくらいで、penのつづりも中学に入って初めて知ったくらいの初めてさだった。英語を希望したわけではなかったが、英数を中心に教える熟だったのでそれらは必須、そして国語をオプションで選んで受講していたのだった。
厳しい先生でよく怒られていたので、すぐに顔を思い出せる。笑 あだ名もあったな。
で、よく単語をノートに書いていた。全国模試なんかの順位はそれほどでもなかったが、学校ではそれなりの点を取るようになり、自信がついてきた。お!おれ英語得意じゃん。
(岡山では"じゃん"は使わないが、岡山弁は封印しているため、ぼくの言葉はすべて標準語とする)
得意なものは好きになる。また、自信がつく。
歴史の話。
あまりよく覚えてないが、歴史も好きだった。これは得意不得意ではなく、単純に好きだった。また、歴史の先生が中国の王朝名を覚えるための替え歌を作っていて今でも覚えている。殷、周、秦、漢・・・。
そして、高校へ。
市内の有名進学校に入れるくらいの学力はあった(と今でも信じる)が、部活をしたかったがために普通の進学校へ入学。
そこでもやはり英語は上位だった気がする。
歴史もずっと好きで世界史を選んだ。
(1年のとき、歴史の最初の授業でなぜかいきなり天地創造の話をしていた。何日で世界は作られたかと質問もされた。ただみんなポカーンだった。未だに残る疑問は、この天地創造の話が歴史のカリキュラムに入っていたのか、もしくはその先生がクリスチャンで歴史の始まりとしてそのことを話してくれたのか。でも、前者はおそらくなし(中学の歴史の先生がいたら訊きたい)で、後者も今思い出しても全然クリスチャンぽくなかった。うーむ)
そのときの性格は暗い、いじられ、すぐ落ち込む、人とコミュニケーションできない。
(大体今もそのままもシフトしている。笑)
クラスでは友達があまりできず、できたとしても会話に入り込むことはなく、遠目で見ていることが多かった。孤独だった。
そのような状態だから、部活が拠り所となる。
部活は部活で楽しかった。キツい練習を含めて。
ただ、いじられるのが段々重くなって、冗談で言われるネガティヴワードを自分の状態だと思い込むようになっていき、自信がなくなる。また、自信を持て、という言葉も当たってはいるがそう言われても・・みたいな感じだった。
(このできごとで、"人はどうせ理解してくれない"という気持ちが形成されたり(今もなお残っている)や冷笑的な性格になっていってしまったのかと思う。
高3。受験が周りの人より早く終え、なんとなくな高校生活を送っていた。本を読み始めた。
初期の段階で、遠藤周作の『沈黙』を読んだ。何か惹かれるものがあり、『キリストの誕生』『イエスの生涯』も読んだ。あくまで歴史上の人物として"イエス"を読んだ。
なぜか西洋古典が好きでゲーテとかが好きだった。(いやそれは大学時代だったかもしれない。)
他に母からもいくつか本を勧められたりしていろいろ読んでいた。
あるとき、聖書のことが頭に過ぎり、人生の中で一度は読んでみたいと思ったことがある。しかし、漠然と、単なる書物という認識で、どこで手に入るのかわからず、およそ自分が読むべきものかも知らずに。
(ちなみに高校を勉強できる方の進学校に通っていたら、もっといい大学に入れたんだろうなと思う。余談)
また、このときから、おれはなんで生きているんだろうとおぼろげに思うようになっていった。
それは自信のなさと孤独のため。
そして高校卒業。
このとき、母が「大学に入ったらきっと語学研修があるから参加しんちゃい」と言ってくれた。
この語学研修でイギリスに渡り、これをきっかけに、キリストに出会うまでのいろいろな人々との出会いやできごとが繰り広げられていくこととなる。
10AUG17
明日から夏期休暇。
今週はこのために走り抜いた感がある。半分何してきたかあんまり覚えてない。
4日間しか働いてないからか。
8/11(Fri) - 12(Sat)
伊香保へ。関東の教会の青年会のみなさんと。
初群馬。
12(Fri) - 16(Wed)
津山帰省。もともと帰省する予定はなかったが、あるとき義姉が「母君が還暦でございます。お戻りください。」とのたまったので帰ることに。兄、義姉、私でお祝いすることに。義姉がお店を手配してくれた。
せっかく帰るので、何かないかと思っていたら、ちょうど住んでるところは梨で有名でそこら中に梨園がある。宅配で家に届けて家族共々一緒に食べようかなと思い梨を手配。人生を逆算するとこの場所で梨を手配することはもうないかもしれないと思いちょっと奮発した。意外とお値段がはりますね。
(完全な余談だが、同僚のフィアンセが近くのとある梨園の出で、私が梨を買いにいった日に、同僚が彼女の実家に挨拶にいったのだとか。「そこに買いにいこうと思ったけど完売だったから、他のとこで買ったよ。ニアミスだったね!」という会話をした。正確には、買いにいこうとしていたところと、その彼女の梨園は微妙に名前が違ったので、ニアではなかった。)
ともあれ、実家に呼び戻してくれた義姉には感謝である。犬にも会える。
そして、15(Tue)は岡山の教会の修養会へ。たまたま友達のFBを見たら、ちょうど帰省中に開催とあったので急遽参加申込。こちらも楽しみ。
我ながら、今夏もいろいろ予定が入って嬉しいかぎりだ。
さて明日からの旅の準備をするか。。