31JAN19 pt.2

SGでの学びはダニエル書6章。

ダニエル書は捕囚としてバビロンに連れていかれたダニエルを通して語られる物語。


あるとき同僚の大臣2人から恨まれて禁令でハメられてライオンの洞窟に閉じ込められた。が神さまにその窮状を救われ無傷で洞窟から出てきて、神さまの御名がますます広がるという話。


神さまはどんな状況でも私たちを救われるということ、そのこと(またはその証し)を通して、ますます神さまのことが周りに伝わっていくということが読み取れた。


最後のとこで、ダレイオスがメディア・ペルシャ全土に神さまを崇めるように命令を出したことは神さまの御業だと思う。神さまを知らない人を使って御名を広まらせるところもなんとも言えない神さまの不思議さがある。



あと、最近ルツ記を定期的に読んでいて、違法の地にいても神さまを礼拝する信仰者を見た。1章に出てくるエリメレクとナオミ。飢饉でモアブの地に行って、書かれてないけど、そこでも神さま礼拝していたと思う。その彼らの信仰を見てモアブのルツはこの神を自分の神と信じたんじゃないだろうかと思った。

異邦の地で礼拝した2人、それを見て信じたルツ、また律法に従ってルツを保護した上でさらに豊かに与えて愛を示したボアズ。


異邦の地で絶対の権力があった王を恐れず、死の危険も恐れず、神さまを礼拝したダニエル。(とその友人の3人。)


神さまはこういう忠実なしもべをイエスさまの系図に加えられたし、神さまだけを恐れる人に最期のときの幻を見せられた。


今この時代に何か特別なことを求めることはない。奇跡が起きるとか幻を見るとか。が神さまが何かのために用いるとしたらこういう信仰者なんだなと思った。


(あ、ダレイオスやキュロスとかは神さまを知らないけど御名を広めたり捕囚を解放するために用いられてる。まあそれは別の次元で用い方だと苦し紛れに言いたい。詰めが甘かった。。)