10JUL17
今日も生かされた感、生き残れた感ひしひしである。
帰る時に見た月と漂う雲とそのスピードが完璧なバランスで美しかった。
自然を見て感動し、神様を想い感謝し喜べるのは、ぼくが既に神様を知っているからというよりは、それを神様が造られ、またそれらが神様の栄光を示しているからに他ならない。
7/7(金)
仕事でミスってしまい、残業帰りで、日々の疲れもあり、「もう人生手詰まりだ..」と弱音を吐きながら帰っていた。
休日も折衝のメールを入れなければならず、週明けにはお客さんに怒られるのが決定していた。
が、寝る前にメールを確認すると、夜中にも関わらず、関連部署から「まだ大丈夫ですよ!」というメッセージが送られてきた。
その瞬間は「あぁ.. よかった..」とすぅーと眠りについた。
7/8(土)
改めてメールを見返し、安心感がやまない。自分でも確認したが、確かにダメだったはずだったものが、システムの表示エラーだったのか、まだ大丈夫だった。結果、事はまた杞憂に終わった。
ぼくが手詰まりだろうがなんだろうが、神様はそうじゃない。ぼくがダメになろうが、神様は真実な方だ。
と思った。
弟子たちが手詰まりだと思った三日後に神様は勝利を宣言された。
最近、福音とは何かという問いに触れたが、これは【私の神が王になられた】ということだと思う。ちょうどイザヤ52:7にそう書いてある。
この節の前半に「山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足はいかに美しいことか」とあり、これがとにかく好きだった。
一昔前の宣教者たちが、山々を駆け巡り、福音を人々に伝え知らせているのを連想しあこがれを持っていた。
さらに後半には、神が王になられたとある。そう、そうだからこそ、これを伝える者の足は美しい。
すぐ2,3行となりにある大切な知らせを見落としていた。