24SEP18 pt.2 Iコリ13:7の解説

教会の宣教師からIコリント13:7の解説をもらった。


日本語に訳したのでせっかくなので載せとく。


ほぼ直訳。日本語の正しい訳も一旦スルー。


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この箇所は、4-6節で愛がしないことを説明した後に、愛のポジティブな側面を挙げている。


愛は決して諦めない、しかし進んで他の人を守る。

ギリシャ語の愛は、「覆う」や「覆って隠す」という意味がある。罪を隠すという意味じゃなくて、 恥や噂、その他傷つけるものから人を守るという意味。

クリスチャンが互いに愛するとき、噂話は避けて、人を傷つけようとする人からお互いを守る。


愛は信じる。進んで他人がベストだということを考える(ニュアンスが難しい)。騙されやすくなりなさいという意味ではない。が、みんなを信じる。人の最悪な状態を考えるよりベストな状態として考えるといってもいいかもしれない。(あの人はいつも気難しいと考えるより、本当はいい人だと考えるみたいな?)


愛は疑いから益をもたらす。本当の愛があれば、クリスチャンは争いでさえも進んで取り組むことができる。みなが他人のベストな状態を考えるとき、人は正直でオープンになれる。


愛は常に望む。互いを愛するクリスチャンは、前を向いている。神さまが教会の人たち一人ひとりに働かれているのを知っているから、成長と成熟を求めている。


愛はすべての状況を忍ぶ。互いを愛するクリスチャンはアクティブで信仰に堅い。どんな困難に当たっても耐える。試練や苦痛は彼らの愛を止められない。クリスチャンが耐えるとき体が苦しむ。迫害にも遭う。厳しい状況になっても耐える。彼らは落胆しても結婚関係を守り、挫折するときでも神さまを信じ、恐れや悲しみがあっても神さまに仕える。彼らが耐えるとき何ものもそれを妨げることはできない。


私たちの社会はよく愛と欲望を混同してしまう。欲望と違って、神さまの愛は私たち人の内側にではなく、外側に人に向かっている。完全に自己犠牲的である。この愛は私たちの肉の欲とは逆を行っている。神さまが私たちの心に無条件の愛を与えてくれるのでなければ、この愛を持つことはできない。そして、私たちがキリストに似れば似るほど、愛を示すことができる。