01AUG17

8月。


佐藤彰先生の『流浪の教会』を今更ながら読んだ。6年くらい寝かしていた。


災害の直前に、ヒゼキヤが緊急時にイザヤに祈りの要請をするくだりの説教をし、そしてその後に詩篇を引用して、主をほめたたえよ、主の良くしてくださったことを何一つ忘れるなと説いている。


物ばかりを見て生きてきて、それがなくなった時に主を見るようになったと書いてあった。主=イエス様。

その出来事を通して、主を知らなかった人は主を知り、主を知っていた人はより近い存在となった。


いろいろと考えが出ては消える。


前回書いたイエス様の逮捕の時に逃げ出した弟子。

自分がもし極限状態に置かれてもなお主に従えるか、信じきれるか。

結局、そのときにならないとわからないと思うし、その場での神様の働きを信じたい。


あと、聖書に「多くの信仰の先達がいるんだから、おれらも重荷を捨てて走り抜こうぜ」というようなことが書いてある。

ここでいつも大昔の人ばかり思い浮かべていたが、本を読み、今の世でも死線を通っても神様が救われて生きている人たちがいることに気づいた。


とかくそういう人たちや出来事、なにより神様の働きを忘れてしまう自分がいる。

が、一瞬の思いや祈りでさえも神様は読みとり覚えていてくださることを覚えて、また成長させてくださる神様にこれからも望みを置きたい。


(ああまとめめちゃくちゃ)


https://youtu.be/CdjRmM0Q0qs