01AUG17
8月。
佐藤彰先生の『流浪の教会』を今更ながら読んだ。6年くらい寝かしていた。
災害の直前に、ヒゼキヤが緊急時にイザヤに祈りの要請をするくだりの説教をし、そしてその後に詩篇を引用して、主をほめたたえよ、主の良くしてくださったことを何一つ忘れるなと説いている。
物ばかりを見て生きてきて、それがなくなった時に主を見るようになったと書いてあった。主=イエス様。
その出来事を通して、主を知らなかった人は主を知り、主を知っていた人はより近い存在となった。
いろいろと考えが出ては消える。
前回書いたイエス様の逮捕の時に逃げ出した弟子。
自分がもし極限状態に置かれてもなお主に従えるか、信じきれるか。
結局、そのときにならないとわからないと思うし、その場での神様の働きを信じたい。
あと、聖書に「多くの信仰の先達がいるんだから、おれらも重荷を捨てて走り抜こうぜ」というようなことが書いてある。
ここでいつも大昔の人ばかり思い浮かべていたが、本を読み、今の世でも死線を通っても神様が救われて生きている人たちがいることに気づいた。
とかくそういう人たちや出来事、なにより神様の働きを忘れてしまう自分がいる。
が、一瞬の思いや祈りでさえも神様は読みとり覚えていてくださることを覚えて、また成長させてくださる神様にこれからも望みを置きたい。
(ああまとめめちゃくちゃ)
30JUL17
7/28(金)
久しぶりのOCCでのNext Generation Nightへ。
神山みささんを初めて見て聴いた。すごく良かった。
あといつもながらバンドの賛美がいい。いつも一人で行くが、たくさんの人の中にあっても、静まり、心溶かされる感覚。
7/30(日)
初早朝礼拝へ。
4時過ぎに起き、5時の始発に乗って、都内の教会へ。
どう頑張っても5分遅れで着く計算だったけど、
ついた時にはまだ始まっておらず、その場の計らい?で一息ついたあと開始となった。
マルコ14:43-52
イエス様が逮捕される場面。裏切る弟子、剣に頼る弟子(記憶曖昧)、逃げる弟子。この弟子たちの誰をも咎めず、ただ「これは聖書の言葉が実現するためだ」と言った主イエス。
説教内容は割愛。
ラジオでいつも聴いていて笑える話ばっかりだったので、生で見、聴きながら、最初は変なワクワク感が止まらなかった。
が、話が進むにつれ、話に聞き入っていた。
声色が好きです。
ところで、ペテロがイエス様を裏切った後、イエス様との対面の場面をラジオで話していたのを思い出した。
イエス様を裏切った後の後ろめたい気持ちがあったかもしれないペテロに対して、陸でパタパタ火を起こして「まず飯食おう」って言ったくれたイエス様のことを話していた。
その後、牧師先生と伝道者の先生とよい時間を過ごした。
とてもよい出会いだった。
(伝道者の先生は同い年ということがわかり、とても励まされた。)
ありがとうございました。
その後、自分の教会へ。朦朧礼拝。反省。
その後、他教会での伝道者就任式へ。
道中の車内は牧師先生、長老(役員)、教会員の方との空間は新鮮で楽しかった。
就任式は100人近い人が集まったとのことで、皆喜びや祝福の気持ちが伝わってきた。
いずれ自分もここに立つのかなーと漠然と(朦朧と)思っていた。
伝道者の先生は年齢も近く、これからの関わりがますます楽しみになった。
26JUL17
久々に母と会話した。
電話履歴を見ると約1ヶ月ぶりだった。
人とのコミュニケーションが減っているときは、心が乱れているときだ。。
仕事の忙しさもさることながら、今度は徐々に会社内の人間関係がややこしくなってきた。
どうにかみんなとうまくやってるつもりだが、やはり誰々がどうのと噂が立ったり、あの人おかしいと言ってきたりする。
えてしてそういうものだと決めてかかれば、さして気にすることでもないが、できればみなさん平和にやってほしいなーと願う。。
さて、(故)ジョン・ストットとクリストファー・ライト(共著)の本を読み始めた。
社会的働きと伝道の関係性についてだったり、ノンクリスチャンや宗教者との対話について書いてある。(まだ読んだのは1/3ほど)
前読んだNTライトもだが、これもなかなか読み応えがある。
(今日知ったが、英国国教会にはハイチャーチ(英国版カトリック)とローチャーチ(ほぼ改革派)があるという。本のジョン・ストットの略歴のところに、英国国教会司祭とあったが、内容に改革派のことが書いてあったので、どういう立場なのかと訝しんでいたが、そういうこと(ローチャーチの人)だったのかと合点がいった。喜)
クリスチャンになった頃、ストットの『信仰入門』を読んで感動したのを覚えている。
もしまだ存命であったなら、対談したいくらいに会いたい。うまく説明はできないけど、CHスポルジョンやCSルイスも好きだが、ストットは突出している。
ほぼ毎回思うけど、我ながらいつもいい本読んでるな。
教えてくれる人が大体いつも大学時代の恩師で、当時からそうだったように今でもよく本を勧めてくれる。
ちなみに大学時代(イギリスから帰国後の最後の1年)はほぼこの先生の研究室に入り浸り、聖書の話を聞いたり、質問したりしていた。一緒にアメリカにも行ったな。
うむ、本もそうだが、ぼくは何かと人に恵まれてきた。
なんか思いがけず話が長くなりそうなので、
この辺で。
本の話からお世話になった人の話、からの証しになるので、今日はこの辺で。
書いてる途中で、いろいろ思い出してしまった。
また次回書こう。
ところで、ブログということで普段(たぶん)書き言葉(かつできる限り本心)で書いているが、そうしているうち他の人の文章(facebookで)も、たまに「あ、(話し言葉じゃなくて)書き言葉だ」と気づく。書き言葉の方がどこかその人の素が現れているような気がする。奥深いもの。あくまで気がするだけだが。
ぼくも毎朝練習しようかな。。
23JUL17
教会での話した。
忙しい人とそうじゃない人のギャップについて。
奉仕とかいろいろ。
ま、何を以て忙しいかそうじゃないかを区分けするのかはあいまいなとこだから、もしかしたらこの話題自体がナンセンスかもしれない。
(仕事量とその人のハンドリング力とのバランスで忙しさは違ってくる)
とりあえず、お互いコミュニケーション取らないと溝は縮まらないよねと収束。
ありきたりだけど、相手のことを完全に理解することはできないけど、知ろうとするかしないかではその後の関係が変わると思う。
とりあえず、みんな祈り課題持ってんだから、御託並べず、祈り会おうよ、と思う。
(弱み/祈り課題を言えるかどうかは、その人次第か、どれだけその場の人たちに信頼をおいているか、おける人たちかというのはあるけど。)
というかもっと書こうと思ったけど、もはや下手に変なこと書けなくなってしまってる閉塞感を少々感じる。笑
まあいいか